precincts

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本堂

本尊・地蔵菩薩立像

脇士・掌善掌悪童子像

鑑真和上像

円覚上人像

昭和37年(1962)、本堂を全焼し本尊地蔵菩薩像を含む多数の寺宝を失いました。しかし新しい本尊延命地蔵菩薩立像(重要文化財)が、律宗総本山唐招提寺から移されて、昭和45年(1970)に本堂の落慶法要が行われました。

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大念仏佛堂

重要文化財

安政3年(1856)に再建。狂言堂とも呼ばれ、この建物の2階部分で壬生狂言が演じられます。 本舞台、橋掛かり以外に能舞台には見られない「飛び込み」や「獣台」などの特異な構造をもつ建物です。

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水掛地蔵堂

このお堂の地蔵菩薩(石仏)は江戸時代中期の作で、「水掛地蔵」と呼ばれ、水を掛けて祈ると、一つの願いが叶うと信じられています。

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阿弥陀堂

阿弥陀如来三尊像

平成14年(2002)に再建。阿弥陀如来三尊像(阿弥陀、観音、勢至)が安置されています。建築家・山本良介氏の設計によって再建されたお堂は、現代の最新の建築法が取り入れられています。この阿弥陀堂の奥に、壬生塚(新選組隊士墓所)があります。また地階は壬生寺歴史資料室であり、寺宝や新選組の関連資料が展示されています。

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よなき地蔵

阿弥陀堂の向かって右にある地蔵菩薩(石仏)は、「夜なき地蔵」と呼ばれ、病気平癒や 幼児の夜泣き止めにご利益があると言われています。

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一夜天神堂

嘉永5年(1852)に再建。中央に一夜天神、向かって右に金毘羅大権現、左には壬生寺の鎮守である六所明神が祀られています。「一夜天神」の名はその昔、天神・菅原道真が流罪になった時に、この壬生の地を訪れ一夜をあかしたという故事に由来し、学業上達のご利益を伝えています。

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表 門(正門)

寛政11年(1799)に再建。壬生寺の正門です。 現在、壬生寺に残る最も古い建物です。

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鐘楼

嘉永4年(1851)に再建。梵鐘は、嘉永元年(1848)に鋳造されたものです。毎年8月9日・10日の精霊迎え鐘や、また大晦日の除夜の鐘として、一般希望者が撞くことができます。

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千体仏塔

平成元年(1988)に建立。この塔の石仏は明治時代、京都市の区画整理の際に各地から集められたものです。室町時代からの阿弥陀如来像や地蔵菩薩像など丁度1,000体が、ミャンマーのパゴダに似て円錐形に安置されています。

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中院

十一面観音菩薩像

歯薬師如来三尊像

壬生寺に唯一残こる塔頭であり、現在の御堂は文政12年(1829)に再建されました。洛陽三十三観音霊場第二十八番札所の本尊である本尊の十一面観音菩薩(鎌倉時代作)は、福寿無量のご利益があり健康長寿に霊験あらたかな観音です。京都十二薬師霊場の第四番札所の歯薬師如来像も安置されています。

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弁天堂

明治27年(1894)に再建。本尊の秘佛・辧財天は、清水寺の延命院より移されたもので、子孫繁栄 ・金運上昇のご利益を伝えます。

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三福川稲荷

参道右側の朱色のお堂には、稲荷明神が祀られています。三福川は 「壬生川」という地名に由来し、五穀豊穣・商売繁盛のご利益を伝えます。

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壬生塚

壬生寺境内東方にある池の中の島は、壬生塚と呼ばれ、幕末の新選組隊士の墓などがあります。新選組局長・近藤勇の胸像と遺髪塔、新選組屯所で暗殺された隊士・芹沢鴨と平山五郎の墓、勘定方・河合耆三郎の墓の他、隊士7名の合祀墓があり、 その合祀墓には池田屋騒動で亡くなった隊士・奥沢栄助、安藤早太郎、新田革左衛門らも葬られています。

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撫牛

一夜天神堂の前にある撫牛。開運を信じてなでれば、病気平癒のみならず、諸願成就して思いもよらない幸運に恵まれることさえあるといわれています。

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御朱印授与所(寺務所)

御朱印の受渡し場所(受付時間:9時〜16時)

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売店(阿弥陀堂内)

お守りや新選組のオリジナルグッズ等が売られています。
(開所時間:9時〜16時)

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文化財展観室

長谷川等伯筆「列仙図屏風」

文化財展観室は本堂内に設けられた展示室です。長谷川等伯筆の「列仙図屏風」、室町時代の「壬生三面」など、壬生寺と壬生狂言に関する資料が展示されています(特別拝観時のみ開室)。

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壬生寺歴史資料室

文化財展観室の分室として、阿弥陀堂の地階に歴史資料室を設けています。寺宝や壬生狂言、新選組の資料などを展示し、常時拝観できます。